
2日間に亘って放映されたNHKスペシャルは、
制作者の熱意は伝わるものの、苛立ちともどかしさと
徒労感ばかりが残った。
・捜査のミスに対し、言い訳に終始する元警察幹部
・警察幹部と現場との乖離
・県警間の縄張り争い
・中央(警視庁)と地方(府警)の確執
・マスコミ(新聞社)の扇動と劇場型犯罪への加担?
・全国紙間の不毛の特ダネ競争
・社会(国民)全体を敵に回した犯人への憤り
・食品企業の生命線を断つ所業への怒り
・滋賀県警本部長の無念の自殺など
番組の意図は、失敗例から学ぶことは多いという視点だ。
「プロジェクトX」が、いかにして成功し、覇者となりえた
のかを検証する番組であったなら、今回の「未解決事件」は、
いかにして失敗し、迷宮入りしてしまったのかを検証する
ものだ。
しかし、成功者は能弁になるが、失敗に関わった人たちの
口は重い。
今後のシリーズが楽しみでもあり、苦しくもある。
中国映画「海洋天堂」(Ocean Heaven)を妻と一緒に観賞した。
自閉症の障害を持つ息子と二人で暮らしていた父親が末期ガンの
宣告を受ける。
この子だけを残しては死ねない。
そんな父の想いを綴る一編の詩のような物語・・。

つい先日観た「ビューティフル」も同類型の映画だった。
死期を悟った男は子供に何を残せるのか、そして自身がやり残した
ことは何なのか必死で考え続けた。
スペイン版「生きる」だった。
シリアスで、スラム街の腐臭が漂うようなスペイン映画に対し、
今回の中国映画は「真摯な」「童話のような」作品に仕上がって
いた。
水族館で働く父と、泳ぐことが好きな子を取り巻く人たちは優しい。
誰もが二人の事を気にかけてくれる。
父親に好意を寄せる隣家のおばさん。
自閉症の息子が恋心を抱くサーカスの女の子。

監督の力量を感じる。音楽も良い。
重いテーマの映画を水彩スケッチのように、さらりと見せてくれる。
人は人に支えられて生きていくことを見せてくれる。
《「メディア王」マードック系大衆紙をめぐる盗聴事件が英政府を
揺さぶっている。マードック氏自身も英議会で釈明を余儀なくされ
たが、波紋が収まる気配はない。真相の全容解明が急がれる。》
これは「英盗聴事件」について書かれた新聞記事の一部である。
大衆受けする記事を書くためには手段を選ばない「大衆紙」の実態が明らか
になった。
英国王室の醜聞を追い続ける新聞、そしてパパラッチたち。
救いようのない”メディアの堕落”はどこからやって来たのだろう?
なにより私が関心を持つのが「権力とメディアの癒着」である。
マードック氏は政界へ絶対的な影響力を持ち、いわば持ちつ持たれつの関係
だと言われている。
これは何も英国だけの話ではない。
わが国に於いても「新聞社と政界のもたれ合い体質」が続いている。
雑誌”SAPIO”の最新号の特集記事は「新聞・テレビの(グロテスクな)
限界」というもの。
記事によれば、原発事故被害に関して”愚民政策”をとった政府をメディア
が追随したと、糾弾している。そもそも「記者クラブによる情報独占体制」
にメスをいれるべきとの声も多い。
ある評論家は「テレビや新聞各社が、横並びの政府御用報道機関になり下が
っている」と嘆いた。
政界ともたれ合って意見を言えない新聞、そして堕落の一途をたどるテレビ。
なにも英国だけが、問題ではない。
わが国だって、マスメディアは危機に瀕している。
映画を観る前に期待と不安が交錯した。
もちろん、期待は”ジブリ作品”であること、そして不安は
「ゲド戦記」の吾朗監督作品であること。

結論から言えば不安が的中か。
ストーリーに奥行きがない。
若者の”解放と自立”、そして淡い恋心を描いているが、
結局は「出生の秘密」が核心の少女マンガだ。
映画は尻切れトンボのように終わった。
それでも、日本人が失くしてしまった美風とも言うべき
古い生活文化を意識して、見せていた。
「おもひでぽろぽろ」や「耳をすませば」のような繊細さと
切なさがあれば良かったのだが‥。
出かけてみた。
「ジャケットデザイン 50-70's」のイベントとして企画されたもので、
古いアナログレコード盤のジャケットを展示して、そのデザインの面白さを
再発見しようという催しだった。
「電リク」で人気があったラジオ関西の所蔵レコードの中から200点ほど
が並べられていた。エルトン・ジョンやバーズやE.L&Pのタルカス等
自分が持っていたLP盤に目がいく。
ガラスケースの中に懐かしいシングルレコードを見つけた。
シャドウズの「春がいっぱい」
ああ懐かしい・・、じっと見ていると学生時代の甘酸っぱい感覚が鮮明に
蘇ってきた。
ホールの前方には三菱のモニタースピーカーR305がデンと据えられている。
会場を埋めた客はほとんどが団塊シニアかその前後の世代。
青春時代を思い出したくてやってきたのだろう。
レコードコンサートが始まった。
ビートルズ、ポール・アンカ、ファッツ・ドミノなどの曲が流れる。
聴衆は目を閉じて聴き入っている。
ラジオ関西のアナウンサーと共に進行したのは団塊世代の大学の先生だった。
氏は幼少時代に聴いた洋楽として「アーサーキッドのウシュクダラ」や
「しょじょ寺のたぬきばやし」をリクエストした。
うーん、懐かしいのは確かだが、特別の感慨はない。
30年間に亘るおびただしい楽曲の中で、自分の思い出にピッタリマッチする
曲というのは少ない。10曲の内で2~3曲でもあれば、喜ぶべきなのだ。
そんなことを考えながら次の曲を待っていたら、ストライクど真ん中の曲が
紹介された。
ダスティ・スプリングフィールドの「この胸のときめきを」
彼女の熱唱がホールを包み込む。
そして、終盤のたたみかけるような転調!
高校3年生の私は受験勉強をしながらこの曲を聴いた。感動の余りウルウルし
ながら聴いていた。
音楽は良い。いとも簡単にオヤジを青春時代へ連れ去ってくれる。
『イニャリトゥ監督は19歳の時、メキシコの映画館で見た「生きる」
について、「一見、単純にみえる物語の中に人生の大切なものが静かに、
しかし確かに存在している不思議な感触があった」と話す。
そして、「いつかこんな映画を撮影したい」との思いを胸にしまい込ん
できたという。』 (産経ニュースより)
映画「ビューティフル」は、イニャリトゥ監督が描く現代版「生きる」
である。

「ビューティフルのスペルはどう書くの?」と子供が訊く。
「発音の通り書けばいいのさ」と父は答え、たどたどしい字で誤った
スペルを書く。
BIU TI FUL
バルセロナの貧民街に住むウスバルは2人の子を育てるために、アフリ
カや中国からやって来た不法移民にヤバイ仕事をあっせんしている男。
その男が余命2ヶ月の末期がんの宣告を受ける。

画面は暗く、リアルな生活臭を放つ。
精神を病んだ妻への愛憎、自分よりも更に貧しい移民への憐憫、
そして子供へ注ぐ愛情。
黒澤版「生きる」とはかなり趣きの違う作品になっている。
死期を悟った男はどんな行動をするのか?

長い映画だった。148分。
黒澤版「生きる」のような甘い涙は湧かない。
しかし、生きることの厳しさと、死に逝くことの切なさが胸に迫る。
彼は愛する我が子と別れを告げ、
逢うことなく死別した父親の許へ向かう。
「松本人志のすべらない話」で、ケンコバがこんな話をした。
子供の頃、山で鹿の死骸を見た。その死骸に向かって石を投げた子供
をおばあちゃんが叱った。「天国に行ったときに、ケガをしていたら
かわいそうや‥」
そして、山菜を採っていたおばあちゃんは、土の中から出てきた大ミ
ミズに驚き、小刀で突きまくった。「コイツメ、コイツメ!」
この話のテーマは『殺生』である。命の軽重を言いたいのかもしれないし、
或いは本音と建前の話かもしれない。
私は家庭菜園をしている時の「チョウチョ」を思い出した。
黄色い蝶がひらひら飛んでくるのが可愛くて、そのままにしていたらブロ
ッコリーをことごとく”幼虫(いも虫)”に食べられた。
そのときに知った。
おいしい野菜を人間だけが独り占めしようとすると、殺虫剤を使わなけれ
ばならない。しかし、農薬がまた人の健康を蝕むだろう。
結局、地球上の生命を「シェアしながら生きていくしかない」ということ
か?