チェ・ゲバラと西郷隆盛
若者の「クルマばなれ」「酒ばなれ」が顕著だという。
モノが余り、モノが売れない時代だ。
素朴な疑問がある。
政府は不況対策として個人需要を喚起しようとしているが、
要らないモノを買え、と言っているの?
かつてセゾングループを率いた辻井喬氏はこう言う。
「現在は選択的な好みによる需要しか残っていません。
一人ひとりのテイスト(趣味や志向)が違い、生活パターン
が違うためです。私は”選別消費”と呼んでいます。」
クルマやテレビを大量に生産して、「どうして売れないのか?」と
天を仰ぐ者こそ大いなる見当違いをしているのではないだろうか?
先の辻井氏はマルクスの「資本論」の一節を紹介した。
「マーケティングのロジックが通用しない現状を言い当てています」
というコメントを添えて。
本質的には人間の欲望を満たす行為である消費が、
資本主義社会になってからは労働力の再生産のための
消費一辺倒になってしまった。 (マルクス)
■チェ・ゲバラと西郷隆盛
映画「CHE」を観た。
キューバ革命の立役者として世界的に人気が高いチェ・ゲバラの
半生を描いたドキュメンタリー風の意欲作であった。
◇なぜ今、チェなのか?
私たち団塊の世代が若いころは、右よりも左の方が革新的で
カッコイイといった空気に包まれていた。
”奪いあえば足らぬ、分けあえば余る”
社会主義は【理想主義】に見え、競争原理をベースにする資本
主義は【現実主義】だと感じた。
ところが、どうだ。20世紀の偉大なる実験は、ソヴィエト連邦や
その他の社会主義国家の崩壊という解答を示した。
米ソの対立という構図が崩れ、米国一強時代になった。
そして今、米国が、ヨーロッパが、日本が、中国が大恐慌の予兆に
おびえている。
◇革命とは?
明治維新は本当の意味での「革命」であるのか?
革命の定義はなんだろう? 辞書で引いてみた。
「革命」=被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、
政治・経済・社会体制を根本的に変革すること。
黒船に怯えた幕府は、太平の世を運営するだけの存在でしかなか
った。力のある諸藩が倒幕を果たし、代表権を得た。
それが、明治維新ではないか。つまり、革命ではなく、代表権を獲る
権力抗争であった。
キューバ革命のことはよく分からない。一握りの地主が多くの貧しい
農民を搾取する社会。多分、そういった状況だったのだろう。
革命とはデストロイヤーだ。大切なのは次になす「新国家建設」の
方だ。
◇革命のヒーロー、そしてカリスマ
映画を観ながら、チェと西郷隆盛が似ていると感じた。
1.革命のヒーローでありながら、
2.新体制の重要ポストに執着せず、
3.新しい闘いに挑み、命をちらす。
4.そして、革命のカリスマになった。(人望と悲劇性)
映画のパンフレットにこんなコピーがあった。
”信念は、死なない”
信念をつらぬく男が愛される。日和る男は嫌われる。
チェは貧しいキューバ国民を救いたいと思った。
そして、西郷は無私無欲の心で日本を救った。
だが、二人の違いがある。
チェはキューバ国民ではなかった。彼は中南米に革命を「拡げ」
たかった。
そして、西郷は武士の社会に幕引きをし、その武士を「守ろう」と
して共に死んだ。
■後段
この映画から何を得るのか?
私のような年寄りは、「歴史」を遠い眼差しで振り返る。
だが、若いひとは「信念」「社会」「革命」「生き方」を真剣に
考えるだろう。
この映画の前に「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観た。
数年前のことだ。
医学生だったチェが友人と2人で、南米を貧乏旅行するロード
ムービーだった。その旅で、彼は貧しくても力強く生きている
人たちに出会う。
イデオロギーではない。
「生きる」とはどういうことなのかを、若い彼は考え続けた。
(2009.1月)