映画「シャンハイ」 ~タナカ大佐の男気と苦悩
あまり期待をせず、米中合作映画「シャンハイ」を
観たのだが、意外に”ひろいもの”の作品だった。
言ってみれば、「戦争ラブサスペンス映画」か?
1941年、日米開戦前夜の上海が舞台だ。
「日独極悪?同盟」と「抗日レジスタンス」の闘いに加えて
その戦況を見守る米英人、といった構図か?
ストーリーの軸は、米国諜報部員の男と、上海の裏社会を
牛耳るボスの妻との不倫愛だが、そんなことはどうでもよい。
日本軍の冷酷非道な殺戮と、タナカ大佐の生きざまに
釘づけになる。
日本軍は泥沼の戦争にのめり込んで、展望を見失った。
前線基地の指揮官タナカも苦悩の内にもがき苦しむ。
そして、日本軍にすり寄って甘い汁を吸うボスの妻は、
父を日本軍に殺された女だった。
彼女は抗日レジスタンスとして、テロを指揮する。
米国諜報部員のひ弱さが際立つ。
彼の任務は日独伊の動向を探ることであり、友人を殺害した
真犯人を突きとめることにあるのだが、妖艶な中国美人の
色香に惑う。
この映画の見方は様々である。
米国人は、開戦前夜の各国のかけひきと行動に注目するであろうし、
中国人は、ただひたすらに蹂躙される祖国への絶望と、日本軍への
憎しみを感じるだろう。
そして、私たち日本人は追いつめられた日本武士道の非情さに
戦慄し、大いなる悔恨に打ちひしがれる。
だが、救いは、怜悧なタカナ大佐を演じた渡辺謙の男気であった。
戦争に正義も不正義もない。
誤解を招く表現かもしれないが、そう思うのだ。
民族間の対立は、法も秩序も人権さえ抹殺してしまう極限的な
状況をもたらす。
キレイごとでは語れない。(だからこそ憎むべきなのだ)
「シャンハイ」はエンターテイメント映画ではあるが、「人間」
というものの残虐性と切なさを考えさせる興味深い映画であった。