映画「さや侍」
松ちゃんの「すべらない話」は好きでよく見ている。
その松ちゃんが、”笑い”についてどう考えているのか、という
興味だけで新作映画「さや侍」を見に出かけた。
結論をいえば、まったく笑えない映画だった。
そして、まったく泣けない映画だった。
主人公は、武士の誇りである「刀」の鞘だけを手放せないでいる
素浪人と、その幼い娘。
『30回の”ネタ見せ”をして、観客を笑わせなさい!』
それが”さや侍”に課せられたお題である。
吉本研修生に課せられた課題のように主人公に「笑いを創る」こと
を強いる。
私は「ガキの使いやあらへんで!」の名物企画「笑ってはいけない
xxx」を思い浮かべた。
笑ってはいけない出演者を何とか笑わそうとする芸人(+放送作家)
の対決が実に愉快だった。
今回の映画では、まったく笑わない若君を笑わせれば無罪放免になる
という設定であるが、本質は同じだ。
しかし、さや侍の笑えない寒いネタばかりが続く。
松ちゃんの意図が少しづつ見えてくる。
永久普遍の笑いなんてない。幼子からおばあちゃんまでが一緒に笑え
るお笑いなんてないだろう。笑いは「古典」であれ、「新作」であれ、
ムズカシイものだ。
最後にさや侍は「笑いを創作」することを止め、「武士としての誇り」
を取る。
そこに松ちゃんがこの映画を撮ろうとした動機を見る。
ずっと新しいお笑いを創ってきたけれども、いつも怖くてたまらない。
なぜか充たされない気持ちがある。表現者としてもっと大切なものが
あるのではないだろうか?
もっと面白い興味深い本質的なものがあるのではないだろうか?
そんな自虐的な苦悩が見えた。